一挙大公開
「いすとーりあ de めーきんぐ of 年賀状」

なんのこっちゃ

1980 この年、結婚を間近に控え、共同で初めての年賀状を作りました。 でも、 変ですね。何を書いているのかわかりませんね。 おサルさんが持っているようにして見ると読めるんですね。 この頃は 「だまし絵」のようなものに興味を持って、 安野光雅とかに凝ってたんです。 この頃、葉書印刷謄写版は、対抗機に あの「プリントごっこ」 があったのですが、なぜか違うのを買ってしまったんですね。 おかげで 印刷は劣るし、すぐに部品はなくなるしで、末期のβ を買ったようなものでした。ま、こういう見込み違いゆうのは よくある話ですね。
1981 結婚したと思ったらまもなく懐妊。ほぼハネムーンベィビィ。 というわけで、2羽の鶏には卵が。これがいまや親父より大きく なった長男。印刷が薄いですね。葉書も古くなってしまったしね。
1982 この頃の唯一の宝の似顔絵。へったぴぃ。
1983 いのししに見えますか?しかし、こういうへたな絵で 恥ずかしげもなく出してたものですね。
1984 この年初めて印刷屋でオフセット印刷にしました。ネズミで書いた HAPPY NEW YEAR はこの頃 TRS-80というマイコン(パソコンとは 呼んでなかった)と Epsonのプリンタ用に作った、 プロッタエミュレーションソフトで描いたもの。 プロッタ命令を (仮想)プリンタに向けて出すとガチャコン ガチャコンと5inchのフロッピーが回りだし、最後にそこに できたファイルを Epsonプリンタに出すとドットで印字して くれるというもの。今から考えると気の遠くなるような 作業だが、それでも これで論文生産ができた。 家族は一人増えた。
1985 この年だけ無いのは、私が南極へ行ってたから。るみ子さんが ひたすら 手書きで書いたので残ってないのだ。 でも、この頃の観測隊の人は日本出発前に書いて置いてきたり、 途中の オーストラリアから出したりする人も多いようですね。
1986 まだまだ正月の段階では日本に帰っていない、おトウチャンの 代わりに るみ子さんが作ったのがこれ。写真と原稿を持って いけばこれくらいにはできるのよ。でもって、おトウチャンは 帰ってきて 帰国のご挨拶を 作って配ったりなんかしました。
1987 写真と原稿で作った第2弾。越冬隊はモーリシャスで「しらせ」を降り、 飛行機で パリ経由で日本へ帰っていた。 パリでは日本からの家族が迎えに来ていたりする。 今は、帰りの休暇はシドニーで 過ごす。らしい。
1988 Back to the camera-ready mode. というわけですが、前年の影響で 文が多く なりました。この年からワープロを使用。夫が洗濯をするのは、 長男が赤ん坊の時からずっとだから、南極行きは家族にとっては ちょー 負担だった。白抜き・太字・縦倍角(!)8分音符に トランプのマーク。あぁ、懐かしのワープロよ。なんちて。この年から5人家族。
1989 この頃モーリスセンダックに凝っていた。この年はライオン年ではなくもちろんへび年。
1990 同じく ワープロ原稿の オフセット印刷。 ミステリーサークル 騒動の 始まったのが 前の年。 ほんまの 科学 というのは 何か というのを 考えさせられる できごとだった。 大きな 大学や 研究所にいて エライ先生の プロジェクトで 研究してたら 経験できない ことではある。絵が 無くなった 分 絵文字を 作ってますが、こういうのもワープロならでは。 あ、この年からパソコン通信の ID が入ってます。インターネットにつながった今から見ると、 その中だけのメールってのはむなしい。
1991 これよりずっと前に、ワープロは名簿と年賀状だけで、仕事では PC-98を使っておった のだが、ついにワープロの調子がおかしくなってしまった。仕方なく一太郎で 作ったのがこれ。太字になると言ってもゴチックでは無い。 この頃、南極へ 行ってた夫へのるみ子さんの逆襲が。でも、子供たちも、 肉野菜いためだけでよく我慢したよな。いや、あの頃はカレーとかスキヤキとか 焼き魚とかも作ってたよな。あと適当に外食が入ってたかな。 Telemailというのは あちらのメールサービス。American Geophysical Society の Electronic Bulletin Service なのだが、いまいち 使用感が。インターネットへの メールのゲートウェイもあったので、東大にアカウント持ってる人を探して メール書いたりしてた。このために KDD Venus-P に加入。 JUNETは高知までは来てくれなかったし。
1992 ついにこの年念願のインターネットメールが高知大にも入ったので、早速にアドレスを 入れてます。ん?この時点で JUNET というのは正しいのかな?UUCPだったような 気がする。年賀状作成道具もTEXに進化。でも絵はゼロックスコピーの はめ込みですね。おサルさんはジョージ君。3年連続でミステリーサークルが 話題になったが、ここまでであった。
1993 またまた TEX の作品。EPSを入れることができるのがわかったので、 ビッグバードをマウスで書いて入れたんだっけ。SunViewのアイコンエディタ かなんか使ったような気がする。
1994 TEXで写真も入れられるよ。てわけで作ったのがこれ。生協へ 頼んだら、印刷屋から電話が入って、「元の写真があればもっときれいに 出ますよ」 「わかってますけど、こういうフンイキでやりたいんです」 とかやりとりして、オフセット技術の限界に挑戦してもらった。 で、ドメインが cc から is に変わってます。「大学の生き残り」 がうるさくなったのは、この頃 からでしょうかね。
1995 そういう発狂状態なので、花札のイノシシも分解して15パズルになったのが これ。前年のような ディザでなく、プリンタのハーフトーンを持っていって オフセットでというのだから、印刷屋さん泣かせですよね。ん、でも こういう難しい客がいるから技術が上がるのだ。あ、誰かこのパズル やって みた人いますか?自分でもやってないんでゴメン。この賀状からメールアドレスと 共に、WWWホームページアドレスも入れてあります。
1996 これの Making は書きましたね。 はめ込みはめ込みを 重ねていますので ごちゃごちゃしてます。 字も小さくなってます。ネズミ年なので マウスの ご登場 というわけ ですが、 これを 描いたのは Windowsの ペイントブラシ。それを UNIXの Netscapeに表示させて スナップショットして、あーしてこーして、、、 最後はTEXで作った本文をはめ込み。
1997

ごらんになってお気づきとは思いますが、 1997年年賀状の作成には、95%全面的にパソコン (Win95)のお力を借りたのであります。某外資系大計算機メーカのノートに入っていた、 「Fぐるめ」に入っていたイラストをいただき、ワードパッドで作ったのだ。 が、これを素直に印刷するのでなく縦横をはがきに合わせるため、一旦 ポストスクリプトで出力。これを EPS に直して TEX に取り込む 際にサイズの調整をやったというわけ。 このため、実際に印刷になったのはびみょーにフォントのバランスが 違っています。最終的には印刷屋でオフセット印刷。400枚をインクジェットで などという悠長なことはやってられないのだ。

ところで、書いてある内容は96年のボヤキ調とは だいぶ変わったでしょう。実は「我々は忙しい」とか、「暇人はどーゆー悪いことを やってる」とか、あれこれボヤキを考えてるうちにイヤケがさしてきて、 「そうだ、楽しかったことを振り返って、前向きのことだけを書こう!」となったん です。が、そんなに前向きに見えないっすか?

昨年の段階では Windows 3.1 のフォントが気に入らなくて TEX で書き直していたのだが、今年は 自分の筆跡によく似た丸文字が気に入って、 ついでに隷書体で本文を書いてしまいました。

1998 何と言っても、この年の大事件は、ペルー大使館突入解決、いやダイアナ妃の事故死、 いやバブルの後遺症いたたましい銀行証券会社の破局という世相ではありますが、 「なんなら金なんて持っていても」と預金を解約しまくり、ついでに借金も背負い込んで 家を一軒買い求めてしまいました。でも、そういう決断を下したのが11月も終わり近くで 大晦日には Peeちゃん Toraちゃんも新居に滑り込みですので、あー疲れた。

んーなわけで、一方では 電話が INS64 になったとか、のぉとに刺さるぴっちもばいるしてるとか、はたまた気象情報頁が新ホストに移って(落ちなくなったので) 台風の時には広島までの専用回線を塗りつぶしちゃったとか、理学部改組で情報科学科が 数理情報科学科情報科学コースになる予定とか、だいがくがくとかにほんごぎほう やる前にせくはら教官を辞めさせろとか、そーゆー話は全てぶっとんでいたのであった。

でもって、肝心のめーきんぐだけど、昨年から 5ポイントパソコン化 up に 進んでしまい、有料ソフトの Met's GCREW に市販のイラスト集からの WMF ファイルを とりこんで、あーしてこーして、インクジェットで出したものを、「おい、この 原稿じゃ、細かすぎて印刷屋に断られるよ」「いーから私が行って来る」 「白黒になりますけど」、、、で、改めて見直したのが、印刷屋の技術の向上であった。

1999(小)
1999(大)
なんつーか。昨年のめーきんぐ的ぼやきをそのまま賀状に書いてしまったと いう感じで、LaTeXの縦書きモード。ま、LaTeXとか UNIX用のソフトがPCで動くように なったおかげで助かりました。

「こんな小さい字読めないよ」「版画と思うて」

2000(小)
2000(大)
ミレニアムだっつーのに、進歩が見られない。
「ねぇ、ピーちゃん可愛かったね。」 「もぅ、ニワトリはもう駄目。ファングがいるでしょ。」 という雰囲気の投げ槍がそのまま。

前年に引き続き、「こんな小さい字読めないよ」「版画と思うて」
しかし、Y2K騒ぎというのも、確かに問題には違いないが、いかにも 「大国」アメリカの仕掛けそうなキャンペーンであった。 (やれ、スターウォーズだの、彗星が衝突するだの、、、)

2001(JPEG)
2001(PDF)
「極小」というのは,はっきり言ってウソ.親ばかの見栄と思ってください. 2000年にあったできごとと言えば,バイク自損事故で怪我のため帰省を延期して隠していたとか, オーストラリア語学留学とか,グランドピアノ購入とか金と手のかかることばかり. じゃ,にもかかわらず家を空けてる親はどうなんだ.親ばかを上回る馬鹿な親. (賢いのはるみ子さんだけですよ) 新車(206)購入までついて火の車状態です. あまり,こういうことばかりやってると,「親の愛情を金で量る」みたいになってくるもんなぁ.
なお,時夫は近頃酒が入ると「大学は宗教だ」と喚いているのでした. (コーノ君,使徒に仕立てようとシツコク勧誘してゴメンでした)
2002 2001年7月にるみ子の母くも膜下出血のため永眠し、年賀を欠礼させていただきました。
で、ひょっと、ここを覗きに来た人のために簡単に近況報告でもしようかなんて。
3月に内地留学から帰ってきましたが、どうも、体調がすぐれず、7月になって るみ子に強制されて病院へ行ってみると「高血圧」の診断。朝晩薬を飲みながら、 毎朝血圧を測るという、成人病生活に入ってしまいました。 で、グラフにつけた血圧の変化を見ていると、土日に下がり月から金にかけて 上がっていく。ということは、やっぱ仕事が悪いんやということで、これからは できるだけ仕事をサボるっきゃないってことですね。
ところで、高知大ではついにセクハラ教官が1人懲戒免職という事件が発生しました。 1998年頃のセクハラ対応が生ぬるかったので、また、性懲りもなくやる人が出た ってことなんだよね。
長男は大学3年で求人情報がやってくるが、本人は大学院進学でもう少し親の脛を かじるつもりらしい。(院入試勉強してるんかな?) 高3の長女は推薦入学を決めて 余裕の新年。二男はピアノの練習もせないかんに、弓道とかネット将棋とか やりたいことが多すぎる。ファングは相変わらず雨と雷が怖い。。。つー感じで 2002年が明けました。
2003 2002年3月17日に時夫の父(90才)が老衰のため、10月22日に母(81才)が大動脈瘤破裂のため 永眠し、年賀欠礼させていただいております。(喪中はがき)
2004(PDF)
2004(JPEG)
目指せ!高知市朝倉界隈の「散歩の達人」という感じで、成人病対策を楽しんでおります。 その成果は 寅彦・写真集・朝倉 城山へ登ろう をご覧ください。
2005(PDF) 四国版「日の出と親子鶏」の絵入り年賀はがきに重ねて印刷なので, こんな変な構成になってます。あれこれゴタクを並べて年賀状を埋める というパターンも,マンネリに陥っているみたいではあります。 最初は子どもを並べていればよかったのが,子どもらが微妙な年頃になってきて, 自分も大学の愚痴を並べるのもどうかという年頃になってしまって, 当たり障りの無いことを探すのが大変という感じです。
ということで,当たり障りのあること
大学法人化で,なんだかんだと言ってはすぐにアンケートをやりたがる のは,困ったもの。「改善」(英語にもなった Kaizen)をやるなら, QCサークルとか・教員が教えてる横でストップウォッチでしょう。 「それは,理屈としてはわかるが,報告書には数字が必要」だそうです。
学生の就職 ... 「二極化」だそうで,学生見ててもそう思う。 教室の後ろに固まって寝てるなら,来なくていいから試験で落として やろうか ... って考えるけど,毎回(寝てても書ける)小ノート提出で落とさない対策 している。
学生のことは言えない自分の子 ... <検閲により削除>。
今年はプジョーを買って5年,ファングを飼って10年,情報科学ができて15年, 南極越冬から20年,結婚して25年という年なので,春にはどっか行くか〜。 (でもファングも子どももいるし...)
自分が生まれて55年。父親の頃なら定年退職だ。
人のことは心配してもしょうがない時代でもあるけど,なんとなく心配という人は 私のこの1年間の血圧記録 でも見てください。
2006(PDF) 四国版「てまりとこいぬ」の絵入り年賀はがきに重ねて印刷。 マンネリに陥っているので、ファングに口上を頼みました。
2007(PDF) 四国版「いのしし」の絵入り年賀はがきに重ねて印刷。 なんとなく、子供たちが親離れする「年齢」になってきたので、 2名連名に戻しました。ファングも子供たちもそれなりに生きてはいますが。。。 文章を書くのが結構苦痛。挨拶だけにしとけって?
2008(PDF) 郵政民営化で四国版が無くなってしまいました。(泣) 文字だけに戻るかとも思いましたが、ワンポイントで写真を入れたくなり、 例によって白黒印刷をと思ったところがどうにもボケた感じにしか ならないもので、思い切ってカラー印刷。 印刷屋さんには、「他にももっと色を使わないともったいないですよ。」 と、言われてしまった。「隣の木」は、オタフクナンテン。 作成時点で名前分からず。
娘評:アキバ系や。
2009(PDF) なぜか、寅彦に関わっています。 寺田寅彦記念館友の会をよろしく。
2010(PDF) 「えっ?」なんですが、予定通りであれば 59 である間に「おじいちゃん」になる予定。
体調的には絶不調。「ホラ、孫だよ、かわいいだぉ」「アイテテ、腰が、、、」的悪寒。
2011(PDF) そんなわけで、体調不良の原因がわかったわけだが、あまり嬉しいことではない。 昨年末は病気休暇で暇なもので、例年になく早くに賀状を投函してしまった。 新年を迎える事ができるのだろうかという不安もよぎったが、なんとか年を越す事ができたようだ。
実は、病気ブログ書いてたりする。
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初孫は男子。私と妻の兄弟にとって初めての次々世代。そうやって次に引き継がれて行くということはいいことだ。
2012(PDF) 昨年に続き、ブログ執筆中につき、詳細はそちらで。。。